注意。文体を考慮していないため、非常に読みにくい。
死刑存廃論は、社会的観点で論じるステージに先んじて、哲学的観点によって論じられるステージが必要だ。それは「命をどうみるか」という生命にまつわる倫理問題である。これを抜きにすると、互いの議論にすれ違いが生じる。それは価値観が根底から異なっているからに他ならない。
高2ぐらいにディベートの授業があった。その時の話だ。
テーマは「殺人犯は全て死刑にすべきである。是か非か。」
俺(T)→
友(B)の順。
T「まず免罪とかどうなのよ」B「普通の刑罰でも発生する」T「死刑は取り返しがつかんよ」B「刑務所で流れた時間もそうだ」T「そもそも人権を奪っているじゃないか」B「殺人犯に人権はない」T「なんで」B「他人の人権を奪ったからだ」T「それなら、被害者が失明したら、加害者の目を潰すのか?視力を奪った、という理由で。」B「いや、それはレベルが違う。生存権の剥奪は全ての罪状において、最大にして極限の罪であるから、特殊に扱われる。」T「なるほど。しかし、それを国が代行する理由はあるのか?形式上、国家が殺人を犯している事実に変わりはない。」B「国民を守るために必要だ。」T「被害者は既に死んでいる」B「殺人犯に再犯の可能性がまったくゼロであるとはいえない」T「それは一般人すべてに言えるじゃないか」B「実際に罪を犯した、という実績の有無はその評価に大きく影響を与える」T「可能性が高いか低いかの問題じゃないか」B「そのとおり。しかし、今こうしているうちにも他国では人が死んでいる。お前はそんな国に住みたいか?確率の違いは無視できない。」T「確率だろうが何だろうが、まず事実として、そいつは2度目の犯罪を犯してはいない。その時点において。にもかかわらず、再犯の可能性を考慮するのは、存在しない罪状に対する刑罰である。このような法律は認められていないはずだ。」B「しかし、もし再犯すれば取り返しがつかない」T「取り返しがつかないのは死刑囚も同様だ」B「奴らに人権はない。しかし、罪無き一般人には人権がある。」T「だからなんで人権がないんだよ!」B「他人の人権を奪ったからだっつの!」T「仮に、彼らに人権が認められないとしても、殺す必要は無いだろうが!死刑は客観的にみて、明らかに残酷な刑罰だ。体罰は日本において禁止されている。死刑は体罰の最たるものじゃないのか」B「被害者だって殺されたんだ。同様に残酷であり、死刑は当然の報いだ」T「その報いをどうして国家が代行する?当事者がやるならまだ分かる。それに、万引きなども懲役刑に換算されるんだ。死刑だって懲役刑に換算できるはずだ。」B「死刑囚を全員無期懲役にするのか?刑務所も満杯だし、税金もかかる。」T「話が違う。それは国家財政の問題だ」B「空想は無意味だ」T「それなら、追放でいいだろう。これなら財政に負担はない」B「よそに迷惑がかかる」T「何の話だ。死刑をもつのはウチの国だ。世界的観点で語ることではない」B「対外国に印象が悪い。現実的でない」T「それを言うなら、欧米では死刑廃止論の流れが強い。死刑を維持することは対外的に印象が悪い」B「欧米と日本は違う。同様にしては語れない。少なくとも、日本において死刑はシステムとして存在している。それが嫌なら、死刑の無い国に行けばよい」T「あぁそうだな。でもな、地球という単位でみたとき、死刑を廃止している国は過半数だ。死刑存置派こそ、地球から出て行けばいい。」
……決着はつかなかった。また、ディベートだから、相手に勝つためなら詭弁をおしまない論争であった。しかし、実際に人の命が懸かった問題だ。ディベートではなく、ディスカッションとして、共通見解を探すべきだ。死刑存廃論の根底にある価値観を共有するところから、それは始まるのではないか。
[0回]
PR
COMMENT