新入生の勧誘に、どこのサークル・部活も忙しそうにしている。
そんな時期なんだろうが、あたりかまわず声をかけるのに辟易する。
まるでキャッチセールス。
ハッキリ申し上げると、非常に鬱陶しく、不愉快だ。
そもそもからして、こういうサークルだの何だの、っていうのは個人の自由意志に基づいているんじゃないのか。興味があったら、その分野に自分からアプローチしにいくもので、決して他人に興味を引き立てられて入部するようなものではなかろう。もちろん、他人にインスピレーションを受けて自らの道を変える、という事象そのものは日常的によくあることだ。しかし、こういう無節操な勧誘方式を指して「インスピレーション」なんて高尚な言語は使えまい。
さて、そんな中、もっともイライラさせられる台詞がある。
「友達ができるよ」
これが心底、ムカツクのだ。
批判したいポイントは2点。
まず1点目。それは、「詐欺まがいである」ということだ。
新入生にとって、大学は未知の領域。当然、友達もいない。よって、新入生はすべからく不安を抱えているはずだ。それは大なり小なり、程度の差はあろうが、多くの者に共通している。そこで上記の台詞を使えば、こちらに関心を向かせるのは容易い。しかし、実際のところ、サークルに入らずとも友達ができるやつはできるし、部活に入っても、友達ができないやつもいる。つまり、条件に差ができるだけで、明確な結果が得られない。こういうのは、商売の世界ではよくある引っ掛け文句だ。詐欺である、とまでは言えないが、姑息な手段であることに違いはない。むろん、言ってる本人達は「そんなつもりじゃない」と思うことだろうが。
そして2点目。これは「目的のすり替え」だ。
友達を作るためにサークルに入るのか?それならば、「ともだち」とか銘を打ったサークルを作ればよろしい。だが、サークルの扱っている内容そのものに興味がある場合はどうだろうか。例を挙げよう。「テニスサークル」と掲げておきながら、実態は友達を作るための飲み会であるサークルがある。こういうサークルにおいては、テニスをするつもりが、いつのまにか友達と飲んでばかり、ということになりかねない。もちろん、それに気をつけるのも新入生の役目であるが、それが免罪符になることはない。俗に聞く、「詐欺は騙されたやつが悪い」という論法に相当するからだ。やりたい事をやるために、サークルに入るのが普通であると筆者は思う。友達を作るためではないだろう。
たーのしーいなーかまーがー。(時事ネタ)
さて、こういう話をすると、一つ思い出したことがある。
ネトゲの「loner」の話だ。
オンラインゲーム、一般に「ネトゲ」と略されることの多いゲームがある。システムによって、MMOとか、MOとか表記したりもする。共通するのは、完全マルチである、と言う点だ。そして、マルチゲーと識別されるポイントは主に2点。
1.単位が「部屋」でなく、「サーバー」である
2.情報は常に維持され、「その場限り」ではない
ここで議題にあげるものの特長として、以下の点を追加する。
3.ゲーム内で形成される独自のコミュニティが存在する
例をあげればキリがないが、「クラン」とか「ギルド」とか称されることの多い、常設型コミュニティだ。その場限りの「パーティ」とは区別される。
こういうのが一般にネトゲと呼ばれるわけだが、昨今、話題に上がっている事象がある。それが「loner」、すなわち、ソロプレイヤーの存在だ。
ウルティマオンラインから続くネトゲの流れとして、スタッフは「コミュニティを中心としたエンターテインメントの供給」を念頭に置いて、ゲームをデザインしていく傾向にある。しかし、そんなスタッフを悩ませるのがlonerである。前述したようなデザインがなされているのだから、ソロプレイは比較的、難しくなりがちなのだが、それにもかかわらずソロでプレイする人がいる。企業としてはプレイヤーは等しく顧客なので、できれば対応したい、と考える。しかし、企業には、どうにも彼らの考え方が理解できないようだ。そうして、これに関するカンファレンスが各所で開かれる事態にまで発展した。
どうしてゲームをするのか、という点について考えれば分かることではないのか、と思う。簡単な話で、「友達を作るために」ゲームを始めたのではないからだ。これが、最大にして、かつ最も重要な原因であろう。
たしかに、「なんとなくゲームを始めたが、今ではコミュニティの一員として頑張っています」というプレイヤーも数多い。しかし、「俺はこのゲームがしたいんだ!」と思ってはじめた人の中には、コミュニティの存在、厳密に言えば、コミュニティに所属することによって発生する人間同士の付き合いの存在、というものが自分がゲームをするうえで障害になる、時間的拘束を受ける、と考える人もいる。
かくいう筆者もその一人だ。先輩として、また、仲間として引っ張ってくれるのは有難い。そして、後輩に頼られるのも満更ではない。しかし、そうでない時は一人でひっそりと過ごしていたいのだ。自分が楽しむためにゲームをするのに、気がついたら他人のことばかり考えていた、なんて笑い話もいいところだ。世話好きなら、そういうのもあるかもしれないが、そんな人でも、一人の時間が欲しいと思うときがあるだろう。コミュニティに所属しながらもうまくやりくりできる人も多いが、そうでない人もまた、相当数いる、という事実がある。
この辺を理解していないうちは、どんなに分析やアプローチを試みたところで、ソロプレイヤーの心には響かない。システム上で自由である、というだけでは不十分で、精神的に自由でなければlonerは動かない。
しかし、そうなると、この対策は至難である。
人付き合い大好きな人と、人付き合い大嫌いな人、その両端が存在しておかしくないからだ。こうなれば、精神的自由の確保という点で両者を同時に満足させることは難しくなる。筆者は、「単純なプレイスタイルの自由保障」しか道はないと思っている。つまり、GTAの世界で、「思いっきりヒトゴロシしてまわるぜ!」という遊び方と「チャリンコで街をふらふら散歩したいんだ」という遊び方が共存し、かつ、シームレスに互いに移行できるようなものだ。
そんなネトゲが欲しいこのごろである。
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